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記憶のはなし

お疲れ様です。
2011年3月農学研究科卒の吉井です。

今回は同期の新井くんと兄さんと三重奏で参加させていただきます。

現在、下水道関係の建設コンサルタントとして働きつつ、都内某市にて夫婦二人とネコ一匹で平和に暮らしています。


同期二人がOBらしく魂のこもった話を書いてくれたので、自分はOBらしからぬよくわからない話でも書こうかと思います。


五億年ボタンという話(漫画?)を知ってますか?

そのボタンを押すと、100万円もらえる代わりに、なんにもない変化もない空間で、飢えることも老いることも死ぬことも発狂することもなく5億年間過ごすことになる。
しかし、五億年経ったあとはボタンを押したすぐあとに意識が戻され、また五億年間過ごした記憶は全てなくなり、ボタンを押す前の記憶から人生が再開する。
すなわち、ボタンを押す前後で、押した人の意識としては「いや?何ともないぞ?」という感覚だが、実はその間には、五億年の間「何で押してしまったんだ。。」と後悔し続ける、果てしない孤独な時間があると。
こういった条件設定は知らされた上でボタンを押すか選択することができるのですが、ボタンを押した本人は五億年の孤独を覚えていないため、目先の100万円のためにボタンを連打する、というお話。


ちょっと怖いですよね。


会社の同期から話を聞いただけで、先の話は知らないんですが、ボタンを押した人が五億年間をどう過ごすかが描かれてて、面白いらしいですよ。

この話をしててその同期と議論になったのが、ボタンを押す人(A君としようか)がいたとして、ボタンを押して100万円を得るA君と、五億年の孤独を過ごすA君は同一人物と言っていいのかということ。
この二人のA君が共有している記憶はボタンを押す前だけで、ボタンを押してから先が一瞬の前者A君の記憶と五億年間記憶が蓄積された後者A君の記憶は全く別です。前者A君は、五億年の孤独を経験するのが自分であると認識しつつも、その経験(恐怖)が全てチャラになって100万円だけが手元に残るという条件に惑わされ、またボタンを押してしまう。前者A君にとって、五億年の孤独に耐える後者A君は、100万円と引き替えにどこかで苦労しているただの他人なわけです。

そのくらい、記憶というのは人間を構成する要素として重要、というか構成するそのものと言えるんじゃないか、というのがその時の結論でした(酔っ払ってたんでなんか論点がおかしいですが、そん時はそんな感じで落ち着きました。)


自分は昔から記憶力が悪くて、特にエピソード的な内容について、いいことも悪いことも「それ普通忘れなくない?」と思われることも結構忘れちゃうタイプで、奥さんによく呆れられます。「この前もこの話で驚いてたよ?」とか。。
忘れるだけならまだしも、記憶違いも甚だ多く、ある昔の出来事に対して、自分がどんな気持ちであったとか、何を考えたとか、年を経るごとに変わってることもあるようです。軸がぶれてますね。
別にその時々の事柄の印象が薄かったとか思いが少なかったとかいうわけでは決して無いと思いたいのですが。

なので、五億年ほどの差はありませんが、つい数年前の現役時代の自分ですら、ちょっと他人の感じがします。あのとき日々を自分はどう感じて過ごしていたのか、はたまた何も考えず過ごしていたのか、、

自分がどうだったかとか主観的記憶はともかくとして、自分が迷惑をかけた人とかお世話になった人、逆に迷惑かけられた人やかわいがった人なんかの客観的情報も同様に薄れているので、今回仙台でお世話になった皆様に感謝の気持ちで演奏したいと思いつつ、具体的にお世話になった方々を一人残らず挙げられるかとか、それぞれの方に適切に気持ちをお返しできているかというと甚だ疑問です。気づかないうちに支えてくれている方も多いと思うし。

人の優しさとかお世話になったと感じる感度が高く、また感じるアンテナが広く、そしてそのことをきちんと覚えていて、なおかつ適切に表現できる人は、素敵だと思います。そうなりたい、うん。

身内自慢になっちゃいますが、うちの嫁はそういうことすごい細かく覚えてるんすよ。うちの姉もそうですが、女性は全般的にエピソード記憶に強い気がします。

この前新井君と兄さんともこんな会話をしましたが、大事なのは、時折思い出す、ということかなと思います。
人が今日考えたことの8割以上は、昨日も考えているそうです。
新井君もブログで「卒コンを通して昔のことを思い出す」と書いてましたが、記憶違いが多少あっても、何かをきっかけとして思い出してみるという試みをしないと、2割の思考の中に入れ込んでいかないと、どんどん現在の諸問題に忙殺され、本当に過去の自分が他人になってしまうなぁ、と。写真でも、こういうブログでも、残すということを、もうちょっと大事にした方がいいなと最近感じています。


長くなったわりにえらい当たり前の一般論に落ち着いちゃいました。。
記憶が頼りなくなっても、少なくとも今回の演奏会に当たり、田原Dはじめ現役の皆さんの多大なる尽力と、鳥海城詰両氏のサポートのおかげで、演奏にだけ専心できる環境を整えていただけたこと、ただただ感謝したいことだけは間違いないです。ほんとありがとう。
とりあえず、残りの日々を大切にして、恥ずかしくない演奏を目指したいと思います。
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